広告にみる玉水屋史料|玉水屋電子資料館

広告にみる玉水屋史料

明治のこよみ-〔明治18年(1885年)〕

明治18年のこよみ

 玉水屋が当時商っていた袋物の類が記されています。煙草入れ、紙入れ、銭入れ、守袋、矢立、巾着、さらにはギヤマン類など、現代風に表現すれば、ハンドバッグ、アクセサリー類を扱うブティックのような店だったのでしょう。

 玉水屋が袋物商と眼鏡商の兼業で営業していたのは、初代以来、日中戦争を前にした1936年(昭和11年)の12月12日まで続きます。

 袋物商廃業当時は、国民の衣服が軍服やモンペ一色に変わっていく時勢にあり、日常生活の中から次第に平和で文化的な要素が奪われていく時代でした。この結果、玉水屋が七代にわたって商ってきた袋物類が贅沢品と見なされるようになり、玉水屋は眼鏡部門を中心とした商いをするようになりました。

大正8年の賀状-〔1918年(大正7年)〕

大正8年の賀状

 当時の玉水屋の店がらを知るために、玉水屋六代目が大正前期に書いた玉水屋の宣伝文をご紹介いたしましょう。

『内国勧業博覧会、関西府県連合共進会、新古美術展覧会、東京上野日本美術協会、各物産品評会等、名誉金銀牌47回受領。

天覧 自家製品は当離宮御駐輦の都度、天覧の光栄を賜り、御買上げ品たるの光栄に浴したること7回。

台覧 東宮殿下台覧の栄誉を荷い御買上げ品たるの光栄を荷いたること4回。

名誉 自家製品は徳川義親侯爵閣下、村雲尼公殿下、藤堂伯爵閣下、皇太后主事渡辺直達閣下、朝鮮総督府その他各貴顕方の御用命を荷いたり。』

 こうして「名古屋の玉水屋」の評判は遠くまで届き、遠方から自分の視力に合う眼鏡を求めに来る客も多かったのです。


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袋物とは、ハンドバッグやお財布、巾着袋などのことです。ギヤマンとは、ダイヤモンドやガラス製品のことです。