明治時代の眼鏡|玉水屋電子資料館

明治時代の眼鏡

支柱式天狗眼鏡(鼻立て眼鏡)-(明治時代初期)

支柱式天狗眼鏡(鼻立て眼鏡)

支柱式天狗眼鏡(鼻立て眼鏡)


支柱式天狗眼鏡(鼻立て眼鏡)

 この型式の眼鏡は、中央の額あてを起こして使用します。レンズをとめる部分にはネジが使用されていないため、針金で仮留めしてあります。

 また、枠の左右に小さな穴のあいた突起が見えますが、この穴は耳にかけるための紐を通すためのものです。

バネ式鼻眼鏡(前掛け眼鏡)-〔19世紀舶来製〕

バネ式鼻眼鏡(前掛け眼鏡)

 老眼用のレンズを入れて遠用眼鏡の前にひっ掛けると、遠近両用の眼鏡にすることができます。この眼鏡は、「前掛け眼鏡」と呼ばれています。

柄付眼鏡(ローネット)-〔1890年(明治23年)頃〕

柄付眼鏡(ローネット)

 1836年、ヨーロッパにおけるヴィクトリア朝の幕開けと共に流行したのが、このローネットタイプの眼鏡です。日本でも1881年(明治14年)頃、鹿鳴館の貴婦人の間で流行しました。

つる付き眼鏡(頭痛おさえ型眼鏡すかし手)-〔19世紀末頃〕

つる付き眼鏡(頭痛おさえ型眼鏡すかし手)

 1727年から1730年までの間に、ロンドンの眼鏡商エドワード・スカーレット(Edward Scarlett)が、つる付き眼鏡を最初に発明したとされています。これは画期的な発明で、眼鏡が発明されてからおよそ450年程経てようやく眼鏡を顔に固定させる最適な手段が発見されたといえるでしょう。

つる付き眼鏡(縄手松葉型眼鏡)-〔1890年(明治23年)頃〕

つる付き眼鏡(縄手松葉型眼鏡)

 頭痛おさえをさらに進化させたのが、ロンドンの眼鏡製造業者、ジェームズ・アスキュー(James Ayscough)です。彼は1752年、鼻やこめかみに不快な圧迫を加えない眼鏡を発明したと発表し、耳の後ろまでのばされた「つる付き眼鏡」を世におくりだすことに成功しました。そして1870年頃から1881年頃にかけて、左図のような耳を取り巻くようなスタイルの、縄手式眼鏡が登場したのです。

 明治初期における日本の眼鏡のブリッジ部(鼻)の形は、外国直輸入の形式で一文字であり、特に上下をネジでとめる不恰好なものでした。これに趣向を加えたのが、この松葉型です。松葉型とは、ブリッジ部(鼻)の形が左図のような曲線で交差しているものです。この松葉型タイプの眼鏡は、明治の中頃まで流行しました。

つる付き眼鏡(一山式)-〔1890年(明治23年)頃〕

つる付き眼鏡(一山式)

 上述の松葉型にもいくつかバリエーションが登場しますが、いずれの形も鼻の低い日本人には不適合なものでした。

 そして1887年(明治20年)頃、鼻梁に密着するような曲線のフォルムになおした形式の眼鏡が登場します。これがいわゆる一山式といわれるものです。

バネ式鼻眼鏡-〔19世紀末頃・舶来製〕

バネ式鼻眼鏡

 ブリッジ部そのものにバネのような弾力性をもたせ、両サイドの鼻あてで鼻をはさみ込むようにしたものです。この眼鏡が輸入された1897年(明治30年)頃は、明治政府の近代化政策によって、ようやく資本主義の黎明が訪れた時代でした。これにより眼鏡の貿易が本格化し、また国内においては眼鏡縁製作の分業が始まり、メッキの研究も進み、眼鏡は手細工職人による製作から機械製作のものへと、量産されるようになりました。

バネ式鼻眼鏡(フィンチ)-〔19世紀末頃・舶来製〕

バネ式鼻眼鏡(フィンチ)

 鼻の両脇を、バネ付きの押さえでつまむようにして装用するタイプのものです。

 1903年(明治36年)、日本に工場制工業を導入し、資本主義を定着させる目的で、第5回内国勧業博覧会が大阪で開催されました。眼鏡部門では、全国から期待される22店舗が眼鏡を出品しましたが、この時の政府による評価は、「我カ国学術上機械器具製造ノ程度ハ実ニ幼稚ト云ハサル可ラス」という結論でした。玉水屋もこの博覧会に眼鏡14点を出品しましたが、結果は力及ばずでした。

大眼鏡(トンボ眼鏡)-〔1890年(明治23年)頃〕

大眼鏡(トンボ眼鏡)

 「近頃はべラボーに大きな眼鏡をかけることが流行して、蜻蛉の眼玉よろしくであるが、追って大道易者の天眼鏡をつぶして、一層大きなものを拵らへる者も出るであらうか。」{『奇態流行史』 宮武外骨 1922年 半狂堂 (『流行新聞』 1890年9月発行の記事を転載したもの。)}

 このような大眼鏡は間歇的に流行し、1964年(昭和39年)にもブームとなりました。

バネ式鼻眼鏡(フィンチ)-〔1910年(明治43年)頃〕

バネ式鼻眼鏡(フィンチ)

 両サイドの鼻あてが、鼻の形に合わせて可動できるように工夫されています。この鼻あての素材には、コルクが使用されています。

蟹眼鏡(松葉型・すかし手・差し込み)-〔1910年(明治43年)頃から大正期〕

蟹眼鏡)

 すかし手とは、テンプル部(手)の末端が左図のように、円く穴のあいているものをいい、穴のあいていないものは「梶なり」といいました。また、差し込みとは、テンプル部(手)の先が耳たぶの上方まで差し込めるものをいい、こめかみの部分までしかない短い手のものは、頭痛おさえ、もしくはこめかみ式といわれています。末端が円く輪になっているもののみを、特に頭痛おさえという説もあります。


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玉水屋が明治36年の第5回内国勧業博覧会に出品した眼鏡14点とは、いったいどのような眼鏡だったのでしょうか…。