江戸時代の遠眼鏡類|玉水屋電子資料館

江戸時代の遠眼鏡類

古渡眼鏡

オランダ製遠眼鏡(江戸時代・長崎経由)

オランダ製遠眼鏡(江戸時代・長崎経由)

中国(清)製眼鏡(幕末の頃・長崎経由)

中国(清)製眼鏡(幕末の頃・長崎経由)


古渡眼鏡

 中央の眼鏡は、縁無し眼鏡の原型となったものです。中央下の眼鏡とともに、中国製江戸末期のものであると考えられています。

 また、古渡(こわたり)とは「舶来」の意味で、もとは「航渡り」から転用されたことばであるとされています。鎖国以後の江戸時代において日本と貿易を行なっていた外国は、ともするとオランダ一国であるかのように考えられがちですが、それ以外にも中国、つまり当時の王朝でいえば明・清を忘れることができません。したがってこれらの眼鏡は、平戸・長崎を舞台に展開された南蛮貿易、あるいは日中貿易によって輸入された品々であると推察できます。

 また18世紀中頃、玉水屋の初代が水口屋の交易係として働くようになり、回船のことを担当して名古屋と長崎を往復していたことを考えてみると、当時の玉水屋が取り扱う舶来品の中には、オランダ製の眼鏡もあったであろうことが想像できます。

〔上:オランダ伝来の望遠鏡/中央:古渡眼鏡二つ/左右:印籠の眼鏡ケース〕

鼻眼鏡・手持ち型眼鏡

古渡眼鏡

 江戸時代に国内で製作された眼鏡の素材には、白鼈甲・鼈甲・水牛・馬爪・木製・あるいは金属製のものなどがありますが、その大半は鼈甲・水牛・馬爪でした。金属製の枠は珍しく、幕末期になってようやく真鍮製のものが増加してくるようになります。

 また、眼鏡の製作については、1615年(元和元年)から1624年(元和10年)までの間に、浜田弥兵衛が蛮国で眼鏡製作技術を習得して帰国したとされ〔『長崎夜話草』「5付録」西川正休(如見)編集1719年(享保4年)または1720年(享保5年)〕、1634年(寛永11年)には明の僧、黙子如定(もくすにょじょう)が長崎で、眼鏡の製造法及び玉摺りなどを伝えたとされています。ちなみに当時の眼鏡枠の製作を手がけたのは、飾職のような立場の職人であり、眼鏡はまさに手細工の賜物でありました。

 写真右にあるようなローネットタイプ(手持ち型眼鏡)の眼鏡は、1780年頃にヨーロッパで発明されたものと考えられています。またローネットの種類には、1830年頃に発明されたスプリング式で開くものや、銀製で装飾品のようにきらびやかなデザインを施したものなど様々な仕様のものが開発され、今日に至っています。


tamamizuya

江戸時代に長崎経由で輸入されたこのオランダ製望遠鏡は、玉水屋と玉水屋の本家である江戸時代の豪商・水口屋小川傳兵衛家の双方に一つずつが伝えられ、水口屋と玉水屋の歴史的な結びつきをうかがい知ることができます。