ごあいさつ|玉水屋電子資料館

ごあいさつ

玉水屋とその260年

玉水屋電子資料館

 1751年(宝暦元年)、50歳をわずかに過ぎた一介の商人が、京都から名古屋へと移住し、店を開きました。その名を千歳屋佐兵衛といい、のちに当時豪商といわれた水口屋の交易係として働くようになりました。この商人こそ、玉水屋の初代にあたる人物であり、その仕事は長崎と名古屋を往復し、回船のことを担当することにありました。

 当時の長崎は、南蛮貿易によって西洋文化がいち早く取り入れられた港湾都市でした。そこでは、日本人が今までに見たこともないような珍しい舶来品の品々が取引され、商人たちの活気でさぞかし賑わいを見せていたことでしょう。

 それでは、この地で佐兵衛が見たものとは、いったいどんなものだったのでしょうか…。

 初代の心を好奇心でいっぱいに満たした舶来品の品々…。それらの中には、当然オランダ製の眼鏡があったものと考えられます。たとえ舶来品でなくても、長崎は日本で最も早くから眼鏡の製作技術が伝えられた地の一つでもあり、また、この長崎から眼鏡の製作技術がひろまっていったとされているのですから、佐兵衛がこの地で眼鏡に深い関心を寄せていたことは、間違いないでしょう。佐兵衛が長崎で眼鏡を買い付け、さかんに名古屋へ送っていたと考えるのは、決して想像に難くありません。

玉水屋電子資料館

 しかし、水口屋から独立した玉水屋が、いつから眼鏡を商いはじめたのかというと、それは残念ながら、歳月という霧の中にかすんでしまい、今となっては確証を得る手がかりは見つかりません。玉水屋電子資料館では、こうした手がかりを再発見し、歴史事実の裏付けをすることからスタートするといってもよいでしょう。

 今日の玉水屋が文化を尊重する企業精神を脈々と受け継いでいるのは、初代がこの長崎で西洋文化を吸収したことと、決して無縁ではないものと思われます。それは、玉水屋八代目が米国オプトメトリストの資格を得、日本の眼鏡業界の発展に貢献していることからしても、おのずと明らかでしょう。

 今後この玉水屋電子資料館構想が、後世に残せるような玉水屋文化活動の一環となり得ますことを、切に希望する次第です。 (1999年 秋)

〔上図:明治・大正・昭和初期の古眼鏡類/下図:古袋物・煙管類(玉水屋所蔵品)〕


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どうぞ、気長にお付き合いくださいませ…。