津田チーエスレンズ工場の稼働|玉水屋電子資料館

津田チーエス.レンズ工場

招かれたレンズマン、下村末吉翁

 1919(大正8)年、名古屋市東区新出来町に眼鏡のレンズ工場が誕生しました。創業者は玉水屋七代目の津田庄三郎と玉水屋番頭格出身の柴田義一氏。レンズ工場の名はこの二人のイニシャルに因んで、「TSレンズ工場」となりました。

津田チーエス.レンズ工場の稼働

津田チーエス.レンズ工場の稼働

〔図版=TSレンズ工場製レンズ定価表(大正11年8月)〕

チーエスレンズ用の袋

〔図版=津田チーエス.レンズ工場で生産された玉水屋レンズを入れるための袋〕

 しかし、餅は餅屋。質の高いレンズ製作には、やはり経験豊かで優れた知識を持つプロの技術者を必要としました。

 そんな折の1923年(大正12年)、関東大震災が発生。当時国内最高水準にあった東京の松島商店レンズ工場長であった下村末吉氏も、この難を逃れることはできませんでした。

 この情報をいち早く入手したTSレンズ工場の経営者は、さっそく下村末吉氏をTSレンズ工場の工場長として招聘。東京から一家徒弟を引き連れてやって来た下村末吉氏指導のもと、TSレンズ工場はより質の高いレンズの効率的な生産を始めるに至りました。

在りし日の下村末吉翁と柴田義一氏

〔写真=在りし日の下村末吉翁(右)と柴田義一氏(左)〕

 その後、下村末吉氏は独立して「下村レンズ工場」を興し、中京レンズ業界の発展に大きく貢献しました。その徒弟からは、今日の愛知県下にある複数のレンズメーカーの創業者を輩出し、下村末吉氏は中部レンズ業界の祖として仰がれるようになりました。

下村末吉翁頌徳碑

 1960(昭和35)年、下村末吉氏を顕彰するため、八事興正寺境内に『下村末吉翁頌徳碑』が建立されました。


tamamizuya残念ながらこの「津田チーエス.レンズ工場」は、諸般の事情により昭和初期までに閉鎖されてしまいました。もし事業がうまくいっていたら、玉水屋はレンズメーカーになっていたかもしれませんね…。