江戸時代の目貫(めぬき)|玉水屋電子資料館

玉水屋が明治時代に販売していた目貫

『僧』(目貫)-〔江戸時代〕

目貫

 日本刀の柄(つか)の表裏に据えられた目貫(めぬき)は、通常同一のデザインが施されている小柄(こづか)、笄(こうがい)とともに三所物(みところもの)とよばれ、南北朝時代より日本刀の重要な装剣金具として発達しました。

『おかめ』『ひょっとこ』(目貫)-〔江戸時代〕

目貫

 玉水屋が数百点にも及ぶ目貫を所蔵しているのは、明治時代後期から大正時代にかけて、当時玉水屋美術部顧問であった竹彫美術工芸大家、水谷華山による商品としての仕入れに起因しています。

『三つ目』と『般若』(目貫)-〔江戸時代〕

目貫

 玉水屋に所蔵されている目貫のモチーフには、福神・人・鬼・獅子・虎・龍・鷹・鷲・鳩・カラス・コウモリ・牛・馬・犬・蝶・ムカデ・ハエ・カエル・カタツムリ・鯛・フグ・おたまじゃくし・貝・かに・えび・ドクロ・そら豆・あずき・椎茸・ひょうたん・松・竹、さらに、富士山・茶釜・鐘・水波文様・剣・弓矢・武具・如意・仏具・宝物・ことわざなど、あらゆる範疇から採り入れられています。

『大黒天』(目貫)-〔江戸時代〕

目貫

 玉水屋が目貫を販売していたのは、明治時代から昭和初期、もしくは戦前までの頃であろうと思われます。当時美術部顧問であった水谷華山が1927年(昭和2年)に他界したことと、時代が次第に戦時体制に向かい始めたことなどが、目貫の仕入や販売を困難なものにしたと考えられます。

『蚊遣り豚』(目貫)-〔江戸時代〕

目貫

 蚊取り線香を入れる容器がぶたの形をした、大変ユニークな目貫です。この形の容器が江戸時代からあったことを裏付ける、重要な資料にもなっています。


tamamizuya明治時代以降、精緻美麗な目貫は本来の装剣金具という使用目的から離れ、袋物や帯留などにも使用されるようになりました。それはまるで、武士の世から町人の世へと移り変わる時代を象徴しているかのようです。

余談ながら…今でも街中の賑やかな通りを「目貫通り」と呼ぶのも、語源は刀の柄の最も目立つ場所、すなわち目貫のある賑やかな場所に由来しています。