竹彫美術工芸大家・水谷華山|玉水屋電子資料館

天覧・台覧に供した竹彫美術工芸大家・玉水屋美術部顧問の水谷華山

仁丹入れ(斑竹・青字刻・骸骨根付)-〔明治中期~大正期〕

水谷華山作品

作者:水谷華山〔1867(慶応3)年~1928(昭和3)年〕
大きさ:4.5×1.3×1.8/根付:1.8×1.5×1.2(cm)

 水谷華山(みずたにかざん)は、1867年(慶応3年)岐阜県に生まれました。14歳で彫刻修行をはじめ、やがて30歳代半ばになると、華山の持ちまえの忍耐強さと観る目の厳しさが徐々に作品に反映されていきました。

 やがてその作品からにじみ出る繊細な感性と妥協を許さない崇高なまでの完璧主義が、いつしか周囲の目を圧倒させるようになり、「竹彫美術工芸大家」水谷華山の名が全国に知られるようになりました。

 華山と玉水屋六代目の出会いも、丁度この頃であると思われます。華山は自分の作品を展示販売してくれる、名古屋でもっとも信頼のできる店に履歴書を送りました。この店こそ玉水屋であり、以後華山の作品はこの玉水屋を舞台にして、天覧、台覧に供するようになりました。そして1922年(大正11年)5月には、英国王室にもその竹製品を献上するまでになりました。

 また、水谷華山が玉水屋に入店したことは、後の1947年に田中恭一氏(現:株式会社メニコン会長)が玉水屋に入店して、1951年に日本で始めて角膜コンタクトレンズを開発する重要なきっかけにもなりました。1927年に二代目華山を襲名し、玉水屋に竹工芸製品を納品していた田中曽山は、この田中恭一氏の実父にあたる人物でした。

印籠(青字刻根付)-〔明治中期~大正期〕

水谷華山作品

作者:水谷華山
大きさ:8.5×2.3×4.3/根付:3.7×2.0×1.3(cm)

 印籠は、日本では古くから薬や印鑑を入れる実用品として、武士や庶民の間で使用されてきました。

 日本が欧米を意識して近代的な国家を目指す明治時代に入ると、海外からは逆に日本の美術工芸品に対する価値が注目され、印籠もまた高く評価されるようになりました。しかし残念なことに、優れた印籠の大部分がこの時、海外に渡ってしまったと言われています。

第5回内国勧業博覧会出品作竹彫工芸品-〔1903年(明治36年)〕

玉水屋が第5回内国勧業博覧会に出品した水谷華山作品

 写真は、玉水屋が明治36年の『第5回内国勧業博覧会』に出品した水谷華山作の竹工芸品類です。これらの出品作は、日本文化における美術工芸品的価値が認められ、この時見事に褒状を受けることができました。

 明治時代の日本は欧米の進んだ技術を取り入れて工業の近代化を急ぐ一方、日本の伝統的な美術を再発見して、優れた美術品の海外への流出を阻止することもまた急務となりました。

(写真は1909年(明治44年)撮影のもの)

米国フィラデルフィア万国博覧会出品作竹彫工芸品-〔1930年(昭和5年)〕

玉水屋がフィラデルフィア万国博覧会に出品した水谷華山作品

 1930年(昭和5年)、玉水屋は『米国フィラデルフィア万国博覧会』に水谷華山の遺作品を出品し、銅賞を受賞しました。写真はその時の出品作を撮影したものです。当時は「ジャポニスム」という言葉に代表されるように、日本の美術工芸品は海外でも高く評価される時代でした。

万年筆入れ(斑竹・金環・竹鈴・竹勾玉)-〔明治中期~大正期〕

水谷華山作品

作者:水谷華山
大きさ:19.0×2.3×2.3/鈴:3.0×2.9×2.9/勾玉:1.7×1.3×0.7(cm)/金使用

 玉水屋六代目が惚れ込んだ水谷華山円熟期の逸品です。

 六代目はまた、水谷華山が持っていた日本の美術工芸に対する理念にも共感し、ついに華山を玉水屋美術部の顧問に据えました。

 この結果、玉水屋には古鏡、金環、勾玉、管玉、目貫、古銭類など、水谷華山選定によるコレクションが充実していくことになりました。

竹盃-〔明治中期~大正期〕

水谷華山作品

作者:水谷華山
大きさ:3.0×3.8×3.2(cm)

水谷華山作品

〔大正時代に玉水屋に陳列された水谷華山による竹彫工芸品の品々〕

『竹蔭華譜 人』-〔1927年(昭和2年)〕

『竹蔭華譜』-「人」

 「…昭和二年(華山)還暦に際し、知友及び門下の人々相謀り、還暦祝賀竹印会を開催したところ、会員二百人に及び、畢生の妙技を揮って二百点を完成したので、竹蔭華譜と題し、その彫刻に成る雅印を印刷して頒布した。諸名家の祝賀詩歌俳書画の類も多くあつまって、好箇の記念すべき雅集を完成したが、惜しくも昭和三年七月十七日六十二歳で病没した。…」

〔『岐阜県偉人傳(240)』「芸術家編・水谷華山」/小木曽旭晃/1943年(昭和18年)8月/岐阜日々新聞掲載の記事抜粋〕

 この竹印会は、水谷華山最後の全精力を尽くした大事業となりました。大阪朝日岐阜版は三段抜きの大見出しに、「竹細工界の巨匠」、「水谷華山翁逝く」、「竹蔭華譜を置土産に」、「研究に終始した翁の一生」と並べ、華山の写真入りでその業績を称え、長文の記事を載せてその死去を報じました。

 なお、『竹蔭華譜』は「天」、「地」、「人」の三部作で構成されていますが、玉水屋には「人」のみが伝えられています。

岐阜市歴史博物館にて『細密-水谷華山の世界』展開催

 2008年(平成20年)3月18日~4月10日、岐阜市歴史博物館1階特別展示室にて初代・水谷華山の偉業をたどる歴博セレクション『細密-水谷華山の世界』展が開催されました。


tamamizuya2000年(平成12年)に開催した玉水屋創業250周年記念展の際に華山の竹彫美術工芸品を一堂に展示・公開しました。