河本五郎作「玉水屋シンボル像」|玉水屋電子資料館

玉水屋シンボル像の誕生

玉水屋建築装飾用陶芸品(玉水屋シンボル)-〔1960年(昭和35年)秋完成〕

玉水屋建築装飾用陶芸品(玉水屋シンボル)

作者:河本五郎(かわもとごろう)〔1919-1986年〕
大きさ:最大幅:55.0/奥行き:33.0/高さ:85.5/周囲:140.0(単位:cm)

 この作品は、1960年(昭和35年)の玉水ビル新築にあたり、玉水屋七代目が陶芸作家の河本五郎氏に制作を依頼したことに由来します。 アフリカ、コンゴ地方に住むバソンゲ族の舞踏用仮面をモデルとしたアルカイックな人面のこの作品は、長い間玉水ビルの入口に展示され、玉水屋のシンボルとして親しまれてきました。次の文「看板を作る」は、河本五郎氏がこの作品について述べたものです。

「看板を作る」

玉水屋建築装飾用陶芸品を制作中の河本五郎氏

 津田さん(玉水屋七代目)が訪ねてきたのは、たしか、夏のはじめの頃だったかと思う。

 津田さんという人は、なかなかのアイデアマンと聞いていただけに予感はあった。手に何やらパンフレットらしきものをヒラヒラさせているのも何か臭い。

 話しは、新しい店の表に何か焼物で作った彫刻様の「モノ」を取りつけたい。もち論、目を象徴した「モノ」を(看板とひとことも云わなかったのは陶芸に敬意を表してか?)、たとえばこんなものはどうでしょうと、くだんのパンフレットの一ページを私に見せた。

 素晴らしい目だ。頭の毛は抜けてしまった、アフリカ人の舞踏面である。アメリカの博物館で見てきたものであるよし。私は知った、眼鏡屋主人の惚れ込んだわけが。

 日本の古い伎楽面に共通したグロテスクなものだが、ハニワ土器の少女の目と同様、カラッポの球体をカミソリの刃でスーッと切り抜いたとき出来る、洞のような神秘性。しかし、奇妙に艶っぽい。

 なんとかその目を生かした「モノ」をと引き受けたものの、ドラムカン大の大物だけに手こずりながら、どうやら目を光らせたタコ坊主が窯から担ぎ出されたのはすでに秋近い頃だった。

 落成式の日、玉水屋へ入ったら、半年近く悩まされた艶なるタコの目がギョロりと私をみつめていた。

(文:河本五郎/雑誌『名店百選』No.2/1965年名店百選会発行)

実際の展示風景

玉水屋建築装飾用陶芸品展示風景

 河本五郎氏が制作した玉水屋建築装飾用陶芸品は、左の写真のように長い間、玉水ビルの「看板」として屋外に展示されてきました。

 ちなみにこの「玉水屋建築装飾用陶芸品」は、河本五郎氏が1986年(昭和61年)に67歳で他界された後も多くの皆様に愛され続け、1988年(昭和63年)には中日新聞社主催による『追悼・河本五郎展』(松坂屋本店)、2001年(平成13年)には瀬戸市文化センター主催による『河本五郎展』、そして2009年には愛知県陶磁資料館主催の特別企画展『生誕90年・河本五郎展』やMOA美術館主催の特別展『アフリカの美-ピカソ、モディリアーニたちを魅了した造形』展にも貸出し出品するなど、美術館や資料館においてもその文化的価値が認められるようになりました。


愛知県陶磁資料館・中日新聞社主催「生誕90年-『河本五郎展』」〔玉水屋より作品『玉水屋シンボル像』貸出

(平成21年)愛知県陶磁資料館・中日新聞社主催「生誕90年-『河本五郎展』」

〔『玉水屋シンボル像』貸出/会場:愛知県陶磁資料館/後援:愛知県教育委員会・愛知高速交通株式会社〕

MOA美術館・TBS主催「『アフリカの美』-ピカソ、モディリアーニたちを魅了した造形」〔玉水屋より作品『玉水屋シンボル像』貸出

(平成21年)MOA美術館・TBS主催「『アフリカの美』-ピカソ、モディリアーニたちを魅了した造形」

〔『玉水屋シンボル像』貸出/会場:MOA美術館/特別協力:国立民族学博物館/後援:外務省・静岡県教育委員会・熱海市教育委員会〕


tamamizuya

たかが看板、されど看板…。