明治・大正・昭和初期の玉水屋|玉水屋電子資料館

写真で見る在りし日の玉水屋

明治時代の玉水屋

明治時代の玉水屋(外観)

 店先に若い店員が並び、活気に満ちていた玉水屋の様子がうかがえます。また、中央上にある松葉型の眼鏡をモチーフとした立体的な看板と、右端にある玉水屋創業の年である「宝暦元年」の文字が目につきます。

〔1910年(明治43年) 名古屋市西区玉屋町4丁目52番9 (旧名称)〕

明治時代の玉水屋(内観)


明治時代の玉水屋(外観)

 この写真は、1911年(明治44年)の玉水屋の年賀状に採用され、印刷されたものです。

 ここに写された木造二階建ての瓦葺の店は、その古風な建物とは対照的に、派手で立派な看板が目につきます。看板には、「玉水屋商店 津田眼鏡輔」と横書きされ、眼鏡、顕微鏡、双眼鏡、袋物、竹工芸製品などの商品が大きく描かれています。特に最上段の看板には、眼科病院や医院の名前がずらりと並び、眼鏡店として正しい視力保全を推進する玉水屋の企業精神をうかがい知ることができます。

大正時代~ハイカラな大正ロマンス風

大正時代の玉水屋(外観)

 大正時代の玉水屋は、眼鏡などの光学品と並行して袋物などの小間物類や美術工芸品を取り扱っていました。

 1925年(大正14年)の5月8日には、玉水屋は中区栄町の交差点西北角にあった広小路ビルに眼鏡光学品専門の栄町店を出店します。これに伴い、玉水屋の経営は眼鏡部門と袋物美術工芸部門の二業態に分かれることになりました。

 新たに開店した栄町店では、大正ロマンスが語られるような、ハイカラでモダンな雰囲気が話題を呼びました。

大正時代の玉水屋店内

 しかしながら美術工芸品を取り扱っていた本町店は、暗い時代が影を落としはじめた昭和11年、贅沢品が敵とみなされ、ついに営業ができなくなりました。

昭和時代初期(戦前)の玉水屋~広小路ビル出店

昭和時代初期(戦前)の玉水屋

 戦前の玉水屋栄町店は、木造二階建ての広小路ビル1階にテナントとして入居していました。広小路ビルは名古屋で最も人通りが多い栄町交差点に面していたため、玉水屋はこの頃からショーウィンドウのディスプレイにも力を入れるようになりました。

 玉水屋のディスプレイはたちまち街を行き交う人々や汽車を待つ人々の間で話題となり、名古屋商工会議所主催の商店ウィンドウ・コンクールでは上位入賞を果たすまでになりました。

昭和時代初期の店頭ディスプレイ

 写真には当時流行していたメガネが、「ニユスタイル」として写し出されています。


※1932年(昭和7年)当時の玉水屋のメガネ「ニユスタイル1933型」型録

1933年(昭和8年)当時の玉水屋のメガネ「ニュスタイル」型録

tamamizuya

「ニユスタイル」…「new style」