長崎奉行所からの所信|玉水屋電子資料館

三代目に宛てられた貿易依頼書〔1825年(文政8年)〕

長崎奉行所からの書信

 写真は、長崎奉行所より三代目玉水屋庄三郎宛てに送られた書信の一部です。書信の内容は、貿易のために三代目に出張依頼をしたものです。長崎と名古屋を舞台に繰り広げられていた玉水屋の、老舗ぶりをうかがい知ることができます。

 また、長崎は平戸とともに、眼鏡の伝来に深く関わりのある貿易港都市でした。1634年(寛永11年)には明の僧、黙子如定(もくすにょじょう)が長崎で眼鏡の製造法及び玉摺りなどを伝えたとされています。長崎の地では、早くから南蛮貿易によるオランダ製眼鏡、日中貿易による中国製眼鏡、そして長崎の職人の手による国産の眼鏡が商われていました。

 これらのことを鑑みると、三代目玉水屋庄三郎が長崎の地で見たものの中には、当然眼鏡があったはずです。長崎で眼鏡を仕入れ、名古屋で商いをする玉水屋を想像するのは、決して難しいことではないでしょう。


ご参考-文政令とのかかわり

長崎奉行所からの書信

 ちなみにこの書信が送られた文政8年(1825年)は、 江戸幕府が清・オランダ以外の外国船をすべて武力で撃退することを命じた「異国船無二念打払令」(略称:文政令)が出された年です。

 この書信が書かれた左記の日付と「異国船無二念打払令」が発令された旧2月18日を考え合わせると、政治・経済・歴史の大きなうねりの中で絶えず翻弄されてきた玉水屋の姿が想像できます。


tamamizuya1951年(昭和26年)、名古屋市鶴舞中央図書館に玉水屋の本家である豪商・水口屋小川傳兵衛家に伝わった「水口屋文書」が収蔵され、貴重な特別集書として今に伝えられています。この文書の中には、僅かではありますが当時の玉水屋の商いの様子も記されています。